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三原舞依の持病は若年性特発性関節炎|難病克服からのシンデレラストーリーに迫る!

三原舞依の持病は若年性特発性関節炎|難病克服からのシンデレラストーリーに迫る!
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  • 三原舞依選手の持病・若年性特発性関節炎とは?
  • 激痩せしていた原因とは?
  • 持病克服からの心境の変化
  • 難病克服からのシンデレラストーリーの秘密について

三原舞依の持病(難病)は若年性特発性関節炎

三原舞依さんの持病は難病指定されている「若年性特発性関節炎」という病気。

あまり聞きなれない病名ですよね。

聞いたことはあっても、どんな病気なのか知らない人も多いのではないでしょうか。

そこで次では、この「若年性特発性関節炎」という病気について詳しく話をしていきます。

若年性特発性関節炎とはどんな難病?

Webの難病情報センターによると若年性特発性関節炎は以下のような難病であると記載されてあります。

若年性(じゃくねんせい)=16歳未満、特発性(とくはつせい)=原因不明の意味で、16歳未満の子どもさんに発症した6週間以上続く(=慢性)関節の 炎症 を若年性特発性関節炎、英語表記でJIA(juvenile idiopathic arthritis)と呼びます。JIAは、国際リウマチ学会(ILAR)の分類基準により7つの病型に分けられています。そのうち小児期発症特有の病型は、「全身型」、「少関節炎」、「 リウマトイド因子 陰性多関節炎」、「リウマトイド因子陽性多関節炎」で、後者3つは関節型JIAとも呼ばれます。

【引用元】https://www.nanbyou.or.jp/entry/3946

6週間以上全身の関節の痛みが続く慢性の関節炎です。

1万人あたりに1人見られることがわかっており、成人期になっても約6割の患者さんは通院や治療が必要な状態とされています。

また、長期の炎症は栄養障害や低身長の原因となる恐れもあります。

三原舞依の持病発症はいつから?

三原舞依さんは2015年12月に若年性特発性関節炎を発症。

当時、三原舞依さんはジュニア選手権でスペイン大会に出場予定でしたが、あまりの激痛に耐え兼ね、急遽帰国することに。

その後すぐに診察を受け、若年性特発性関節炎であると発覚し、入院することになりました。

そのため全日本選手権にも出場できず、2016年1月に退院しましたが、しばらく車椅子で生活することになりました。

三原舞依は持病が原因で激痩せしていた

若年性特発性関節炎は長期の炎症が原因で栄養障害になってしまうこともあり、三原舞依さんはその栄養障害が原因で激痩せしていたと言われています。

2019年11月4日に公開された日刊スポーツで、三原舞依さんのコーチである中野園子さんが取材に応じ、以下のようにコメントしました。

今の状態としては、別に拒食ではなく、体が栄養を吸収しないんだそうです。みなさんが『痩せた』って心配してくださっているけれど、ちゃんと食べてはいる」と説明した。

【引用元】https://www.nikkansports.com/sports/news/201911040000003.html

上記の通り食事は取れているものの、体が栄養を吸収しないため痩せてしまったとされています。

持病発症前後の画像比較

【発症前】

(2015年)

【発症後】

(2016年)

(2017年)

(2018年)

(2019年)

(2020年)

(2021年)

過去の画像と比較すると、ずいぶん痩せているのがわかりますよね。

先程も言いましたが栄養障害の影響もあり、体重が激減したようです。

フィギュアスケートは一見華やかで優雅なスポーツに見えますが、想像以上にハードでとても体力を使う競技です。

痩せすぎると体力や筋力が落ちてしまい、三原舞依さんが怪我をしてしまうのでは?など心配になりますよね。

心配するファンの声が続出

痩せている姿を見て「無理しないでね」や「ゆっくり休んでほしい」など心配するファンの声も多く見受けられました。

それにしてもこの痩せようはとても心配になりますよね。

心配しすぎるのも、三原舞依さんにとってはプレッシャーになってしまう恐れがあるので、これからも元気な姿をたくさん見れるように、変わらず温かく応援していきましょうね。

三原舞依の持病発症から克服までのストーリー

次に、三原舞依さんの持病が発症してから克服するまでのストーリーを順番に追って紹介していきます。

「三原舞依さんがどのようにして若年性特発性関節炎を克服したのか」や、「今までの大会の受賞経歴」などもわかりやすく書いているのでぜひ確認してみてくださいね。

2015年「全日本選手権」欠場

スペインからの帰国後、若年性特発性関節炎で2週間ほど入院。

2015年の全日本選手権を欠場することになりました。

三原舞依さんは病室のベッドで全日本選手権を見ていたそうです。

その時の三原舞依さんの気持ちを思うと言葉が出ません。

2016年「チャレンジャーシリーズ ネーベルホルン杯」 3位、「四大陸選手権」 優勝

2016/2017シーズンはシニアに転向し、安定したノーミスの演技を武器に「チャレンジャーシリーズ ネーベルホルン杯」で3位入賞。

また、四大陸選手権ではパーソナルベストとなる合計200.85点で逆転し、初の優勝を飾りました。

合計200点超えは日本人選手としては浅田真央さん、安藤美姫さん、宮原知子さんに次いで4人目!

2017年「四大陸選手権」 優勝 、「世界選手権」5位

2017年の「四大陸選手権」で優勝。

「氷上のシンデレラ」や「まるで天使が舞い降りたよう」など、世界中から三原舞依さんの演技が賞賛されました。

その後の「世界選手権」では5位という結果を残しました。

2018年「四大陸選手権」 2位

2018年の四大陸選手権では2位を獲得。

「ショート、フリーともに大きなミスがなく来季以降への自信に繋がった」と三原舞依さんは話しました。

幼なじみの坂本花織選手と共に舞台に立ち、2人とも素晴らしい結果を残しました。

2019年「四大陸選手権」 3位、「ユニバーシアード冬季競技会大会」 優勝

2019年では「四大陸選手権」で見事3位に入賞し、表彰台に上がることができて大興奮の三原舞依さん。

2019年2月10日公開のスポニチの取材では、次のようにコメントしています。

「昨日は本当に驚いていて、表彰台に乗れると思っていなかったので、衣装も靴も片付けてしまって、え?っていう感じだったんですけど、(昨年12月の)全日本選手権が4位で、すごいまた落ち込んでいた中で、表彰台に上がることができたことは、すごくうれしかったです」

【引用元】https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/02/10/kiji/20190210s00079000145000c.html

2019年では「四大陸選手権」で見事3位に入賞し、表彰台に上がることができて大興奮の三原舞依さん。

他にも日本選手団の主将として臨んだ「ユニバーシアード冬季競技会」で優勝するなど、三原舞依さんの努力が着実に結果となって表れ始めていますね。

2019年夏頃から当面の休養・競技会欠場を発表

2019年夏頃より体調不良のため、同年7月以降のアイスショーの出演を取りやめ、9月開催のチャレンジャーシリーズ・ロンバルディア杯の欠場を発表しました。

同年秋になっても体調が戻らず、練習ができない状況により、10月の近畿選手権・ISU GPシリーズ・スケートカナダ、11月の中国杯を始め、全日本大会・四大陸大会・世界選手権も全て欠場となりました。

この欠場の知らせに悲しみの声が多く挙げられました。

 2021年「アジアンオープントロフィー」優勝

2年半ぶりに出場した国際大会「アジアンオープントロフィー」では、ショートプログラムを2位で通過しました。

10月15日に行われたフリーでトップとなる135.75点を叩き出し、合計203.58点で見事に逆転優勝。

「嬉しさとともに悔しさもあり、新たに課題を見つけたので次に向けてもっと練習を頑張る」とコメントした三原舞依さん。

現在は、2022年の北京オリンピック出場を目指して日々練習に励んでいます。

三原舞依は持病を克服したあとに心境に変化が?

2021年10月29日に公開されたスポーツ報知の取材で、三原舞依さんは以下のようにコメントしています。

「スケートだけじゃなくて、普通の生活さえも大変だったので。そのときは、まったくスケートに戻って来られるなんて思っていなかったです。そこから考えると、色んな方々の支えのおかけだなって本当つくづく思います。

 【引用元】https://hochi.news/articles/20211028-OHT1T51187.html?page=1

三原舞依さんは病気療養でスケートリンクに乗れない日々を過ごしていたため、人一倍スケートを滑れることに感謝の気持ちを強く持っているスケーターです。

三原舞依さんは「信じて、思い切って、楽しみながら滑るだけ」と語っています。

このコメントから彼女の心の強さがよくわかりますね。

三原舞依の持病克服のために励みになったのが坂本花織

しばらく療養生活が続き、日々辛い思いをしていた三原舞依さんを救ったのが幼なじみでもあり、同じ所属の坂本花織さんの存在でした。

小学生の頃から一緒に練習して試合に出るなど互いを刺激に励み、切磋琢磨してた2人。

三原舞依さんは2020年11月9日に公開されたNumberWebの取材に対し、以下のようにコメントしました。

「小学生の頃から一緒に練習して試合にも出てきたけれど、本当にかおちゃん(坂本)のスケートのダイナミックさやジャンプの大きさはピカイチ。私が出来ないようなパワーがあって、すごいなと練習の時から思っています」

毎日の練習で目にする坂本のパワフルな姿は、三原の支えであり、そして目標になってきた。

「復帰したころはまだ一般営業だけで滑っていて、最近、中野先生から『貸切に入ったら』といわれて、かおちゃんと滑れる機会も増えてきました。こういうふうに練習していれば、試合で良い演技がしていけるんだなというのを、すごい間近で感じながら練習しています。中野先生のアドバイスもいただきながら、かおちゃんの存在も大きくて有り難いなと思っています。まだライバルと言えるところまで行けてないと思うので、かおちゃんを見習いながら、一緒にトップを目指していけるようにしたいです」

【引用先】https://number.bunshun.jp/articles/-/845750?page=4

また、三原舞依さんと同様に坂本花織さんも違う立場から三原舞依さんの存在を意識していたそうです。

坂本花織さんは以下のようにコメントしています。

「舞依ちゃんは結構、試合でノーミスのジャンプを揃える選手なので、練習を見ていても不安にならないというか『きっと試合でもノーミスするんだろうな』と思います。舞依ちゃんは安定感がすごいので、自分は安定感という点で欠けているところがあって、自分も頑張って安定した演技をしないと負けてしまうと思うんです。舞依ちゃんが復帰したことによって、そういう気持ちにまた今年からなって、負けたくないという気持ちがまた芽生えてきたかなと思います」

「ノービスのときから一緒に戦ってきたので、こんなに身近にいるライバルはそういません。舞依ちゃんの存在は大きくて、舞依ちゃんのおかげでここまで成長できたと思います」

【引用先】https://number.bunshun.jp/articles/-/845750?page=6

とても理想的な関係の2人ですよね。

一緒に練習ができるようになってからも、気遣いながら声をかけてくれるなど、坂本花織さんの存在がとても大きな支えになったのではないでしょうか。

三原舞依は難病を抱えつつ、髪の毛31㎝を寄付していた

三原舞依さんはヘアドネーションで髪の毛を31cmも寄付していたことがわかりました。

ヘアドネーションとは?

脱毛症や乏毛症、事故や病気で髪の毛を失った人など髪の悩みを抱える人たちに寄付された髪で作られたウィッグを贈る活動

2020年4月10日に公開された日刊スポーツの取材で、三原舞依さんは次のようにコメントをしています。

「1人の方の心を救えたら…じゃないですけれど、髪の毛で『ちょっとでも貢献できたらな』っていうのがあって。使ってもらえているかは分からないんですが『もし良かったら、使っていただけたらな』って思っています。やっぱりいろいろな方に支えてもらってきたので『その恩返しが誰かに届けばいいな』と思うんです。また伸ばして、もう1回やるつもりです。頑張ります」

【引用元】https://www.nikkansports.com/sports/news/202004100000324.html

難病を抱え、人一倍、周囲の人の支えに感謝している三原舞依さん。

ヘアドネーションにも積極的に参加し、「人のために何か貢献できれば」という三原舞依さんの人を思いやる優しい心がとても伝わりますよね。

三原舞依は持病を完治させたのか?

現在も持病の完治までは至っておらず、月に一度、点滴と注射をして体調を管理しており、採血もかかさずに行っているそうです。

大変な思いを全く感じさせない凄い活躍ぶりで、とても頼もしい存在ですよね。

「大丈夫かな?」と心配する気持ちもわかりますが、温かく見守りましょう!

【まとめ】三原舞依の持病克服までのシンデレラストーリーが感動的!

三原舞依さんの持病克服までの感動的なシンデレラストーリーをご紹介しました。

いかがでしたか?

難病を克服し、世界に挑戦する姿に背中を押された方も多いと思います。

「もっと上を目指してまだまだ頑張りたい」という三原舞依さんの言葉を信じ、私たちファンも今まで以上に三原舞依さんを応援していきたいですね。

益々の活躍を期待しています!

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